ベルばら と 門番

 
  1972年末頃〜
週刊マーガレットに連載中の「ベルサイユのばら」に出会う。クラスの中で回し読みされていた。私があまりにも「ベルばら」に嵌ったのを見て、週刊マーガレットを自腹で持ち込んでくれていた子が、回し終わった週マをくれるようになった。いい友達だ。

  1973年
人が回し読みしている順番を待てなくなり、自分で週マを購入するようになる。普通、本屋では金曜日、早いところでも木曜日からしか発売されなかったが、近所のパンやで水曜日に発売されることを発見。水曜日の学校帰りに駆け足でパンやに行くようになる。それを見ていたパンやのおじさんは、私のために週マをとっておいてくれるようになった。いい人だ。

  1973年7月11日(水)
この日発売された週マが「セピア色の化石」の週。生涯忘れられない日となった。

  1973年9月
アンドレ、オスカルと立て続けに死んでしまう。ショックのあまりご飯も喉を通らない状態に。

  1974年11月
宝塚月組「ベルサイユのばら」を見る。テレビで宝塚を見たことはあったが、生は初めてだった。不満は大いにあったものの、生身の人間が演じるオスカルとアンドレに心躍った。

  1974年冬
世界史の授業。フランス革命の時間が楽しみだったのに、風邪をひいた。38度の熱をおして授業に出た。なぜフランス革命だと力が湧くのだ。

  〜1976年
この頃かなり宝塚にはまる。特に、星組の但馬久美アンドレが好きだった。華やかな鳳蘭さんの影で、確実な演技、華麗なダンス(彼女のバラのタンゴは最高だった)、甘いセリフ回しに酔いしれた。当時、東京宝塚劇場の3階席は500円。お小遣いで行けたのに感謝。

  1979年3月3日
日比谷映画劇場で実写版「ベルサイユのばら」を見る。指定席2階D列33番1800円也。これまた不満は大いにあったが、それなりに楽しむ自分。一番気に入ったのは音楽か。ミシェル・ルグラン、さすがである。
同時にこの時期、実写版に協賛していた資生堂が「劇的な、劇的な、春ですレッド」とうたって、カトリオーナを使い口紅の宣伝を行っていた。対抗馬はカネボウの「君は薔薇より美しい」。

  1979年10月
アニメ「ベルサイユのばら」、始まる。その当時、我が家にビデオがなく、カセットテープに録音した思い出が。時代は変わるものだ。それが今DVDで発売されているとは。
それから、この前後にラジオニッポンだったかで、ラジオ劇「ベルサイユのばら」を放送していた。これまた、かなり真面目に録音していた記憶有り。

  1980年春
紆余曲折あったものの大学はフランス史を専攻。同時に長年の夢だったヴァイオリンを始め、クラブ活動はオーケストラに・・・・・・ようは依然として「ベルばら」に影響されちゃっているのであった。

卒業旅行(当時、卒業記念の貧乏海外旅行が流行っていた)では、何はさておいてもヴェルサイユ宮殿へ。初めての聖地巡礼であった。

  1989年
フランス革命200年記念の年が来た。熱狂的な「ベルばら」への思いは冷めていたものの、やっぱり200年だもの。会社に休暇を願い出、7月12〜14日の前後1週間パリに滞在。14日にはシャンゼリゼ通りでパレードを見、夜は爆竹が鳴る中、バスティーユ広場へ行った。

日本では平成版宝塚上演。今回は、花組の朝香じゅんアンドレに嵌る。アンドレ役としては、最高だったかもしれない。でも、但馬久美さん同様、華やかな大浦みずきさんの影となり、二番手のまま退団。この頃から、自分が応援する人は二番手どまりか、と「影フェチ」を自覚し始める。

 

  2000年〜秋
      2001年2月
BSでアニメ「ベルサイユのばら」に再会。やだ、こんなに素敵だった? と、どんどん嵌り、後半には胸が苦しいような思いで見ていた。あまりに新鮮に見てしまって、似顔絵コーナーにお絵描きまで送ってしまった。採用してくれたNHKの人、ありがとう。

  2001年4月
宝塚、再々上演開始。チケット入手に苦労はしたが、東京で3人の役代わりアンドレを見る。樹里アンドレの頃には、再び宝塚熱も再燃。

  2001年5月
「ベルサイト」とついに遭遇。世の中に沢山のファンが健在で活躍していることを知った。と、同時に嵌りました、「ベルサイト」。寝不足の日々が続く。

  2002年4月1日
連載開始30周年の年に「Hotel de Jardjais」なんちゃってオープン。現在に至る。

ネットを通じて知り合った沢山の方々に大変お世話になりました。奇跡のような出会いに感謝でいっぱいです。